自己紹介

ルーン占い風と月の風月のストーリープロフィール

初めまして!
ルーン占い師の風月です。
ふうげつと読みます。
占い師ネームです。
本名は、キラキラネームなので、秘密です☆
ふうげつさんって読んでくれたら嬉しいです♪
 
私は幼少期からきょうだい児として育ちました。
弟が病気なのです。
なので、私は病気になることが許されませんでした。
頭が痛いと言えば怒られ、熱が出れば殴られ、怒鳴られ。
「熱が出るなんてたるんでる」
「サボりたいから病気になる」
「病人は弟だけで十分」
「そんなことして気を引いたって無駄だから」
こんな言葉を、生まれたときからずっとずっと聞かされ続けました。
なので、自己肯定感は低く、愛着形成も歪んでいます。
失敗は絶対にしてはいけない。
嫌われるのはイヤ。
けど、好かれるのも怖いからイヤ。
小学生の間は、そんな子どもでした。
そのせいか、小学校1年生の頃からずっとずっと、イジメのターゲットでした。
先生すら、「この子のことはいじめてもいい。けれど、他の子はいじめてはいけない」なんて言うような、そんな子どもでした。
その結果、私は、自分を傷つけることが趣味になりました。
自分を切り刻むことで、安心感を得る。
傷ついたことを目で確認して、生きてるんだとホッとする。
そんな子どもになりました。
そんな私に母親は
「そうやって親を脅したって無駄だからな
お前の脅しには屈しない」
と言いました。
ああ、この人は私の生みの親だけど、
私を理解することはないんだな。と悟った瞬間でした。
 
父親は、父親の話はしたくない。と思うくらいにヒドイ人でした。
自分が母親から虐待を受けていたから、だから子どもを虐待しても問題がない。
自分がされていたことだから、当然の権利だと、謎の論理を振りかざし、
殴る、蹴る、日常茶飯事でした。
母親も同じです。
気に入らないことがあれば、いろんな物で殴られた物です。
辞書、竹刀、布団たたき、竹定規、皿、などなど。
暴言もスゴかったですね。
バカ、あほ、クズ、役立たず、死ね、体売れ、ゴミ、などなど。
父親からも、母親からも。
でもね、弟にはこんなこと一切言わないのです。
弟が何かをしようとすれば、やれ、大丈夫か、手伝おうか、無理するな
優しい言葉ばかり目の前でかけられる現実。
生き地獄という言葉がふさわしい環境でした。
 
小学校5年生の時、家にいてほしくない母親が、私を合宿に預けました。
そのときの講師の先生が言いました。
 
「できないことは恥じゃない。
知らないことが恥だ。
知識こそが、誰からも奪い取られることのない武器になる。
知らないことを知る努力をしろ」
 
「本を読め。
人の10倍本を読め。
数がこなせるヤツは10倍の冊数を、
数がこなせないヤツは、1冊の本を人の10倍。
漫画誌か読めないヤツは、人の100倍漫画を読め」
 
こうして、私は、漫画を読む道を選びました。
 
漫画を読むようになったころ、弟がほしがったので、ファミコンがわが家にやって来ました。
ドラゴンクエスト、それが私とルーンの出会いでした。
なんだ、この文字!ふっしぎ~♪と言うのが最初の感想。
本気で魔法使いを目指していた小学生だったので、
もっぱら魔術に使うことばかり考えていました。
 
ルーンを使って友達を作ろう。
そんなことを考えて、拾ったおはじきにマジックで、
ルーン文字を書いてお守りに持っていたり、
言いたいことをちゃんと言えるようになろうと、
別のルーン文字を書いて持っていたりして。
そうすると、不思議と気持ちが落ち着いて、
自分で自分を切り刻んで安心する方法を止めることができました。
 
中学生になり、声優を目指している子と友達になりました。
じゃあ、私も一緒に声優になる!と言うノリで声優を目指しました。
目指しておきながら、小説を書き始めたり、漫画を書いてみたり、
いろんなことに挑戦した3年間でしたね。
ゲームもたくさんやったし。
そこですっかり、オタクと言う道に進み、腐女子の世界に足を踏み入れたのです。
 
高校へ進学する予定はありませんでした。
親も、私が中学を卒業したら働くことを希望していました。
時代は平成だったので、高校に行かないと、就職口もないよ、と言う状態でしたが、父親も母親も、売春だったら早いほうがいい。若い方がいい。
何よりお金になる。年を取って体を売れなくなったら、体の中身を売る予定だから。そのために健康に育てた。うちの子には売春させるから、高校へは行かせない。の一点張り。
すでに父親によって喪失していたので、誰を相手にしたところでなんの問題もない。と言うのが私の心境でした。
今なら、児童相談所案件ですよねぇ。
弟を高校へ進学させるので、私は働けと。どうしても行きたかったら自分で学費を稼げと。
私自身も進学する気は全くなかったのですが、祖父がお金を出してくれました。
高校は卒業しておかないと。と。
親は娘が苦労するのが当然と言う考えでしたが、祖父は、孫が不憫で仕方がなかったそうです。
ずっと、引き取りたいと考えて、ずっと母親、自分の娘に打診していたそうですが、母親はそれを、自分の能力を否定されたと受け取ったようでした。
 
このころ、私はルーンと話すことが日課になってました。
おはじきにルーン文字を書いて、セロハンテープで文字が消えないように上から貼って、給食袋に入れて、一つ取ったり、二つ取ったり。
これが、るんるん♪ルーン占いの原点です。
このころは、これがルーン占いだとも、そもそも占いだと思ってもいませんでした。
○○がしたいけど、どう思うか、
××したくないんだけど、どうしたらいい?
そんなことを聞いてましたね。
ケンカをすることもありました。
今、それ言われたくない!とか、わかってるよ!わかってることをあえて言わないでよ!なんてことも。
 
一応、高校に進学することになった私ですが、ここが一つの転機になりました。
私は公立の高校に入学したのですが、両親も、弟も、親戚一同、
私が公立の高校に行けるなんて思ってなかったのです。
「高校卒業の資格だけ取る、バカ私立に行って、カネを無駄に使わせる」
と、言われていましたが、そうなりませんでした。
高校へ行ったら一人暮らしする。そういうお約束だったので、
祖父に保証人になってもらい、安い賃貸を借りる予定でした。
ところが、突然、母親が病気になったのです。
自分一人では歩くこともできない、箸も持てない、スプーンすら持てない、
風呂も、トイレも自力じゃ無理。と言う病気に。
リュウマチでした。
もう骨が変形するところまで進んでいたので、これからは悪くなる一方だと診断されました。
介護する気はありません。
大好きな弟にしてもらえばいいんです。
私はいらない子なんだから。
だから私には無関係だもんって思っていたのですが、
ルーンの意見は違いましたね。
もう!って腹立てたのを覚えてます。
 
さて、弟は病気です。障害があります。
介護?無理無理~www
一日でダウンし病気になって、でも看病してくれる人もなく(笑)
母親は私に猫なで声で、行かないで、見捨てないで、お願いよ
今まで育ててきたでしょう、服買ってあげたでしょう、ご飯食べさせてあげたでしょう、と親なら当然だろ?ってことを言いつのって、私に家に残るように懇願したのでした。
父親は、さっさと温泉病院に入れる手配を調えてましたが、それだってタダじゃない。お金がかかることを知って、オレ、しーらね。といなくなりました。
私もいなくなる予定だったんですが、ルーンはずっと、無理だから
考え直してって答えを出し続けてました。
でも一緒に暮らすなんてあり得ない、もう無理、そっちの方が無理だった私は、
何とか家を出る用意をしていたのですが、入居予定だったアパートが火事になってしまい、断念せざるを得ませんでした。
仕方がないので、朝起きたら、洗濯物を干して昼ご飯と夜ご飯を作って、レンジでチンできるようにして、6時からコンビニで働き、学校へ行って、コンビニに帰ってきて22時まで働いて、家に帰って後片付けをして、風呂入れて、と言う生活を3年間がんばりました。祖父に学費を返すために。祖父は返さなくていいって言ったけど。でも、2年目、3年目の学費は、自分で出しました。
一人暮らししていたら、これはできなかったでしょう。
 
高校を卒業して、声優学校に入りました。
かつての友との約束を守るために。
でも、その友人は、私より先に諦めてました。
声優学校を卒業して、舞台に立ったり、
ちょっとだけその他大勢役をやることもできましたが、
それ以上は、無理でした。
諦めて就職口を探すことにしました。
 
最初の会社は、試用期間でクビに。
次の仕事は1年半でリストラに。
その次の仕事は1年で倒産。
その次の仕事も1年で倒産、
20歳から26歳までの間に、何回転職したのやら……。
最後に倒産した会社のお別れ会で、
「私はこれだけ就職に失敗してると言うことは、きっと働くなって天のお告げなので、私はこれからニートになって、生活保護受給者を目指します!」
と宣言したところ、昔お偉いさんだったと言うおじいさんが、ある協同組合にアルバイトとして就職させてくれました。
そこで、私は働き方を、仕事とは何かを学びました。
そのとき課長だった人が、根気よく私を働かせてくれたおかげで、私はそのまま職員として採用されることとなりました。
組合員さんに人気者だった私は、そこである組合員さんに見初められ、その人の息子と結婚します。
 
これがまた、人生の転機となったのでした。
 
夫となる人は、国家公務員。超安定な職業。
おうちは大きな農家。老後も安泰。
幸せな結婚になるはずでした。
ところが、夫となる人は、結婚式の2週間前に、当日出席しなくてもいいか、と言うような人で。
ここで止めれば良かったのです。
ルーンは、その結婚は、やめた方がいいよって言ってました。
ところが私は、こんな優良な物件、他にはないでしょ。と。ルーンの言うことを無視して、突き進んでしまったのです。
 
夫は、とにかく人の話を聞かない人でした。
私が何を相談しても、で?どうせ答え決まってるんでしょ?相談する意味あるの?って言うか、自分で考えられないの?バカなの?アホなの?という感じで、
一切取り合うことはありませんでした。
全部好きにしていい。全部自由にしていい。
その代わり、オレもかまうな。オレも好きにさせろ。自由にさせろ。と言う人でした。
夫婦でいる意味がないのではないかと思い、家出したこともあります。
けれど、追いかけることもなければ、迎えに来ることもありませんでした。
私は、そのまま離婚するつもりだったんですが、相手のご両親、ご兄弟から懇願され、子どもが生まれれば変わるからと言う言葉を信じ、
作ってしまったのです。
子どもを。
 
子どもを作ることに対し、ルーンは反対しませんでした。
むしろ賛成でした。
けれど、このままでは、おかしな家族になることは明白なのです。
お父さんとお母さんの間に、会話が一切なく、お互いに好きなことをしている。
そんなんで、果たして子育てができるのでしょうか。
ルーンは心配ないって言うけれど。
 
さて、いよいよ出産と言うときになって、
帰る家がなくなりました。
里帰りしている間に、夫は仕事を辞めて、引っ越していたのです。
行き先も言わずに、荷物を全部持って。
 
どうしたらいい?私はどうしたらいい?
ルーンは言いました。
いろんなところに相談しなさいと。
 
いろんなところに相談しました。
弁護士さん、市役所の相談員さんはもちろん、お坊さん、神主さん、陰陽師さん、NPOの人、そして占い師さん……。
 
みんな離婚を思いとどまるように、もう一度やり直すように諭す中、
ある占い師さんだけが言ったのです。
「離婚しようよ」と。
「今のままだと、なりたいお母さんになれないでしょ?
子どものために、なりたいお母さんがあるんでしょ?
あなたはもっと、自由になっていい。
あなたはもっと、自分を好きになっていい。
あなたはもっと、大事にされていいんですよ」
 
そっか。そうだよね。なるほど、そうだよね!
その占い師さんは、自分の言いたいことを、ちゃんと言おう。相手を悪くしたいから言ってるんじゃない。愛があるから言ってるんだってことをわかってもらうように。と言うアドバイスだったので、私は夫に、
「信頼関係を築きたい。信頼関係を築くことを何もしてこなかった。
何をしてほしいのか言ってほしい。
私の話も聞いてほしい。そしてその話を聞いたら、
どう思ったのか、何を感じたのか、自分の意見をちゃんと言ってほしい。
お父さんやお母さん、兄弟たちに、こうなんでしょ?こう思ってるんでしょ?って言われて、うん。ってうなずくのじゃなく、あなたの言葉で、あなたの心で、あなたの意見を」
と告げたのです。
結果、返ってきたのは沈黙。1時間の沈黙の後、
「どうして、そんなことしなきゃいけないのか理解できない」
 
別れよう。って決意しました。
ルーンも、別れようって言いました。
けど、別れる前に、しっかり作戦を立てなさい。知識を身につけなさい。と。
 
別居して1年後、子どもの1歳の誕生日、家族会議の時間が作られました。
私は、
「信頼関係を築きたい。信頼関係を築くことを何もしてこなかった。
何をしてほしいのか言ってほしい。
私の話も聞いてほしい。そしてその話を聞いたら、
どう思ったのか、何を感じたのか、自分の意見をちゃんと言ってほしい。
お父さんやお母さん、兄弟たちに、こうなんでしょ?こう思ってるんでしょ?って言われて、うん。ってうなずくのじゃなく、あなたの言葉で、あなたの心で、あなたの意見を」
と言う話を、彼の家族の前でもしました。
それに対して、彼の両親は、なんで、息子がそんなことを考えなければいけないんだ。お前が察しろ。察するのが妻の仕事、妻の役目!と言う意見でした。
夫婦の間に信頼関係なんて必要ない。それが、相手の家の結論でした。
 
私は違う。
私の両親は、信頼関係がなかった。
おかげで、娘は歪んで育った。
機能不全家族、病気兄弟、人生は生まれたときからハードモード。
そんな人生を、子どもに歩ませたくない。
だからこそ、夫婦の間に信頼関係が必要なんだ。
お互いが、お互いを思いやって、助け合って、一つのコミュニティーを作って、
お互いの意志を意見を尊重し、ときに妥協し合い、すり合わせながら、寄り添い合って、そんな家族を作りたいんだ。
それができないならば、一緒には暮らせない。
 
そう言って、再び、家を飛び出し、お里に帰ったのでした。
お里には、リハビリの結果、一通りのことは自力でできるようになった母がいました。
弟は、なんと家を出て、一人暮らしを始めていたのです。
まあ、姉から、母親の面倒は見てやるが、弟の面倒はみてやらんと突き放され、
自分の死後のことを考えたときに、これじゃいかんと母親は思ったらしく、
一通りのことは自力でできるようにしていたのです。
 
孫は可愛いんだろうね。
祖父もそうだったもん。
今まで見たことも聞いたこともないような声と顔で、生まれたての孫に接する姿に、私は、今までのことが全部許せてしまいました。
長かったねぇ。30年かかりましたね。
 
それから1年間、私は離婚について勉強しました。
知らないことは恥。と言う、昔の教えが、ずっとずっと生きていた私は、
とにかく離婚について調べ、学んだんです。
子どもが2歳になっても、なんの連絡もありませんでした。
自分はこんな家庭を作りたいとか、こんな子育てがしたいとか、
そんな話は何一つ。
 
だから、調停を起こしました。
離婚調停です。
この期に及んで、実は私は、まだ離婚する気はありませんでした。
ルーンは早く離婚しようよって言ってましたが、それでも、お父さんとお母さんがいる方が、子どもにとって良いって信じてました。
自分は両親そろってても、ろくな目に遭ってないのにね。
 
調停員さんたちは優しかったです。
そして、やんわりと、だけどしっかりと、離婚することを勧めてきました。
その方がいいよ。と。
そのときに
「風月さんは、いたって普通の、普通のお母さんですよ。どこもおかしくありません」
と言われたのが、とても、とても、とっても大きかったです。
 
離婚が成立し、私は、なんだかとっても体が軽くなったような、
スッキリしたような、ああ、なんて幸せなんだろう。
世界はとっても優しいし、明るいし、希望に満ちあふれている!
そう思えたんです。
仕事もない、貯金もない、乳児抱えて。
本当は、お先真っ暗なはずなのに、なぜか、
ルーンがいれば大丈夫。
と思えたのです。
 
そう、私が、占い師さんの言葉で幸せを掴み、調停員さんの言葉で勇気を掴み、
ルーンの言葉に励まされてきたように、
今度は私が、ルーンの言葉を、迷ってる人、悩んでる人に届けて、その人が、
ウルトラHappyな方向へ進めるようになったら、最高嬉しいじゃないか!
と思って始めたのが、このルーン占い師の道です。
2019年現在、3年経ちましたね。
いろんな人からありがとうと言われます。
元気になったと言われます。
励まされたと言われます。
自信になったと言われます。
幸せです。
こんなに幸せなことってないんじゃないでしょうか。
 
そして、私には一つ、自慢があります。
それは、私の子ども。
本当に、愛されて育ってるのがわかる。
幸せな子どもだよね。
他人の評価です。
子ども自身はどう思ってるのか、わかりません。
けれど、言われたかったんです。私。
自分が、言われたくて言われたくて言われなかった、
お母さんから愛されてるね。って言葉。
 
言われるようになりましたよーーーーーっ!
 
人間50年どころか、40年経たないうちに荒波サバイバル。
傷ついて来た私だからこそ、伝えられる言葉がある。
そんな私だから、どうか私の手を掴んでほしい。
私はあなたを労りたい。
私はあなたを応援したい。
私はあなたに元気になってもらいたい。
 
今日もそう願いながら、るんるん♪ルーンな占い師をしています。
 
どうぞ、よろしくお願いいたします♡
ルーン占い受付